曙日記

日々生きている、私のはなし

行動や言葉の根元は怒りか思いやりか

 

目が覚めてすぐに思ったことは、

言葉を選ぶ時に、相手への思いやりを元に言葉を発しているかどうか。

行動を起こす時に、相手への思いやりを元に行動を起こしているかどうかだ。

 

怒りが元であってはいけない。

 

怒りが元だと、望んでいなかった方に、ものごとが転んでいく。

 

夢の中で、そういう話でも聞いてきたのかなあ・・・。

起きた瞬間にそう思った。

 

この内容の夢はたまに見るので、私はちょくちょく失敗をしているのだろう。

 

夢の内容を事細かに覚えているのではなくて、

起きた瞬間にそう思っているので、間違いなくそういうお話を聞いてきたのだろうって感じだ。

 

そんな程度。

 

でも大事なこと。

 

怒りではなく思いやり。

 

気をつけていると、それほど難しくなくなっていくのだけど、

怒りに支配を任せる時間が増えれば増えるほど、怒りというのはより一層自分と一体化してなじんでいく。

 

そうすると、本当に、思いやりを元に話し、行動をすることが難しくなっていくし、

そもそもそういう発想自体が、自分の世界の隅へと追いやられていく。

 

怒りを自分の中心にすることを繰り返し続けると、一見思い通りに周りが動いているように見えるが、

どんどん呼吸をするスペースが減っていき、ものごとがガチガチに固まって身動きがとりづらい状態になっていく。

孤独になる。

 

満たされなくて、どんどん怒りが増えていく。

 

反面、

思いやりは、緩ませる。

 

どんどん周りを緩ませる。

 

自分が呼吸をしやすくなる。

 

周りと繋がっていることを感じさせる。

 

緩やかな波の上にふんわりと乗って、心地よく波乗りをしているような感覚になる。

 

瞬間瞬間が選択の連続で、その選択の瞬間に、何を選んでいるかで、今日や明日や、

未来が変わっていくのだろうな。