ちょっと疲れてる。
人というものに。
私はいつからか、人を信じられなくなった。
自分の立場を守れると思うと、思う存分刃を振り回す人がいる。
その刃を見れた経験は、悪くなかったと思う。
相手のことを包み隠さず知るいい機会でもあったから。
それに思う存分振り回した刀は、気持ちよく振り回せば振り回すほど、後々の自分を傷つけまくっている。
だから、
気持ち良く振り回したもの勝ちではないしね。
気持ち良く振り回した期間が長ければ長いほど、その刃で傷つけたものが多いほど、自分を傷つける。
・・・対象を傷つけた以上かな。
気がついたら、自分も血まみれになっている。
返り血じゃないよ。
自分の血。
・・・それは私もそうなのかな。
家では言いたい放題。
・・・言いたい放題ってほどではないけど、
その言葉は、夫だけではなくて、子供も聞いているしね。
世界平和を祈る前に、自分の家庭の平和を実現しないとね。
私は人が好きではないんだろうか。
話ながら、その人の言葉のままではなくて、心の揺らぎを観察する。
全体から出ている揺らぎみたいなものを見ている。
揺らぎを見ていると、
相手が話に集中しているかどうか、言葉が本音とどのくらいリンクしているかどうか、わかりやすい。
副音声のように相手の別の言葉が聞こえてくることもある。
あからさまな時はね。
まったく別の言葉を話しているなと感じることは、余程少ないけど。
別の言葉を話せるってことは、相手の人格にも起因するけど、
余程私のことがどうでもいいということもあるのでしょう。
それか、自分のことで手いっぱい?
・・・あまり考えすぎない方がいい。
考えすぎると、
相手のものだと思っていたものに、自分の主観が混じるから。
人を信じられない。
=自分を信じられない。
自分の感覚を信じられない。
だから、自分の不安や、こう思いたいという感情が、感覚だと思っていたものに影響を与えることがある。
だから自分が不安な時は、あまり機能しない。
相手の話を聞きながら、相手の全体を観察している感じ。
ただ単純に表面的なことを楽しんだ方がいい時もあるから、そういう時は、全体を観察する感覚を遮断してしまう時もあるけど。
全体に感覚を広げて、波乗りのようにしゅるしゅる~っと、駆け抜けている感じ。
でもあまり調子よく乗っていると、人の言葉をしゅるしゅる~っと、聞き流してしまうから注意。
もうちょっと愛を持って話を聞かないとね。
今日は、自分の言葉に責任をもって、丁寧に話そうかな。
普段は、雲に乗っているかのように、ふわふわと話していることが多いから、
相手に伝わることを意識して、丁寧に。