うまくいかないことを、うまくいかないと思う理由はなんだろう。
自分を満足させる結果ではなかったからだろうか。
私はどういった内容だったら満足するのか。
それは、はっきりしている。
・・・だけど、
仮に満足する内容通りだったとして、それを素直に喜べるのだろうか。
今度は怖くなるのではないだろうか。
人は結果さえ手に入れば、何でも満足できるのだろうか。
結果に至るまでの過程があるからこそ、結果の価値がより高まるのではないだろうか。
途中経過というのは、結果をより劇的に、ドラマチックにするためにあるのではないだろうか。
・・・だとすると、
途中経過の結果で、「いい。」だの、「悪い。」だの言っているのは、非常に退屈だともいえる。
人の人生なんて、短いから、
長い歴史の途中経過というより、一瞬でしかないから、
今、この瞬間なんて、
吹き飛んでしまいそうなほどの記憶でしかないんだろう。
それでも、そこには、がっかりしたり、満足したりの感動が存在する。
短い人生だけど、小さな目標に向かってその都度生きている。
だから、そうね。
・・・そう、くやしかったの。
悔しいって感情は、何のためにあるの?
これから動いていくための原動力?
そうだなあ・・・、
満足できたら、何もしなくてもいいもの。
もっと違う結果が欲しいから、工夫をするし、頑張る。
頑張るって、なに?
・・・よく使うけど。
工夫をし続けることかな。
目標に向かって歩みを止めないってことかな。
考えることをやめないってことかな。
感動することを受け入れ続けるってことかな。
・・・満足できなかった。
悔しい思いがあるのは、
結果に対して努力が足りなかったって、感じているから?
もっとできることがあったって感じてるから?
途中で選択を間違えたって思ってる?
・・・そんなことないか。
本当はわかっているけど、
悔しいと、
・・・いろいろ言いたくなるの。
すべての歩みは、短い人生の壮大なクライマックスを迎えるための序章。
未来の展開をよりドラマチックで感動的にするためのスパイスとなる。
だから、いいことばかりじゃないよ。
スパイスだからね。
満足したら、歩みを止めてしまうからね。
そうだね。
だから、
より感動するためには、努力をしないとね。
結果に満足できないのは、やり残したと感じたことがあるからなのね。
まだやれたと思っているからなのね。
もっとやれると思っているからなのね。
もっと全力で生きたいよ。